「天平飛鳥」に始まり通算1300 年に及ぶ「日本の美」が、明治維新以後、西洋文化の大波により衣食住、言葉や文化に至るまで、
大きく変化して来ました。戦前・戦中・戦後と時代が巡り来る中にも「和の心」を大切に思い繋ぎながら、俗に言う「七様七変化」社会や暮らしの仕組みが何故か「七の数」の輪廻の
いたずらか、明治維新の大変革からおおよそ77 年目、戦争が終わって77 年目に近い年巡りになっている今、私たちが訴えている「和流ルネッサンス」「日本の原美」を大切にしたいと
いう想いを新たにペンを走らせています。
14 世紀に西欧で広まったルネッサンス。その流れを汲む大きな文明文化の流れが西から東へ、アジアへも波及し影響を及ぼしました。
封建社会・鎖国制度の日本が世界の文化レベルに大きく遅れたために、幕藩、開国と国が乱れ、殺人狂騒曲によって生まれた明治維新が起こり、第122 代明治天皇によって「旧
来の古き慣習を捨て、新しい国造りへ~」との号令で、暦・衣食住・和文化など日本の国体は変わって行ったのです。
そのような歴史の様々な出来事の中にあって、今年はその折り返しの「美」に当たるのではないかと思い、日本人が生きて来た様を「七」の数字で拾ってみました。
我々が求めている江戸美学。江戸風情は奈良・飛鳥・天平時代に芽生えた、日本文化の独自性の高い美意識です。
その間およそ700 年間、極東の島国ながらアジア諸国と交流を持ち、大きく「和」して「大和」と呼ばれ、良い国だナ(那・奈)と同意の言葉として「奈良」と呼ばれ、神仏を大切にし心の支えとして礼儀作法等きめ細やかな美意識を高め、平和にして安らぎある国家として「平安時代」を築き、「大和・奈良・天平飛鳥時代」を支えて頂いた女帝がまた7 名おられました。
日本の古代国家の脊骨となるのが「飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)」という全22 巻の法典で、暦を創って暮らしの仕組みとして細やかに定めており、それがまた7 世紀に
発進しています。
それから、諸外国との国際交流によって日本を彩る文化芸術等に磨きがかかり、平安~鎌倉~室町そして江戸時代へと極東文化美が継承され、その間1300 ~ 1400年に渡り守り育てられたのです。
いまは丁度、万葉集の序文に読み上げられた「令和」の時代。
ゆえに古きを訪ね、思い切って様々な和文化を掘り起こし、点・線・面と広がる和文化の佳さを「明日への夢づくり」へと結びつけることが出来ないだろうかと考えています。
素晴らしい和文化のゆかりを集めて、今度は極東から西へ、共感讃美される「和流ルネッサンス」の風を届けたい。西洋文化から東洋文化へ、折り返し地点の「令和の春」だと思います。
郷土史研究家 福博かたり部 岡部 定一郎 和流 顧問